写真:ブルース・ストロナク学長(学長室にて)

2016年5月17日

今春、テンプル大学ジャパンキャンパス(TUJ)は学部生数1,000人という節目を迎えました。この在籍数の伸びは一時的なものに留まらないと私たちはみています。2014年秋学期以来、学部生数は歴史的な記録を更新し、とりわけ新入生と日本校に直接入学するフルタイムの学生数の伸びが顕著です。つまりこれは現在の学生数は少なくとも中期的には比較的安定して推移することを意味します。この成長を支える環境的要因とはなんでしょう?

いくつもの要因がありますが、世界中の人々がグローバル化された教育の必要性を理解し始めたことが最も重要な要素の一つと信じています。グローバル化には、組織的、経済的、社会的、政治的といった様々な側面があります。しかし他のあらゆる現象と同じように、個人が直接それを経験するまでは何の意味もありません。ITがグローバル化に与えた影響は、極めて個人的レベルのものと言えるでしょう。少し前ですが、私は東京からワシントンDCへ向かう飛行機内33,000フィート(約10,000メートル)上空で、ニューヨークにいる娘とスカイプで話をしました。フライトの最中、ワイヤレス機器を手に遠隔地にいる誰かと無料で話ができるのは、今や電話をかけることと同様、奇跡でもなんでもありません。車を運転しながら電話に向かって話しかけて、行先を調べることもそうです。これらは仰天するほどのことではありませんが、もはやこういったことがびっくりすることでもないという事実自体が驚きです。40年前に私が初めて日本に移ってきたとき、友人や家族とのコミュニケーション手段は、週に一度の青くて薄い航空書簡に限られていました。情報は限られた受託者の手に閉じ込められていました。電話は会話でのコミュニケーションだけ、時計は時間を伝えるだけのものでした。それがいまや世界中の誰とでも極めて低コストで瞬時にコミュニケーションが取れ、電話、時計、音楽プレーヤー、さらには近い将来メガネなど、私が持っている7つの機器のどれからでも、ほぼ無限大の情報にアクセスできます。私にとってこれが現実なのですから、TUJの学生たち、(明らかに)私より若く(おそらく)ITやソーシャルメディアに精通した彼らにとっては言うまでもないことでしょう。

私の世代は1980年代と90年代にイノベーションとテクノロジーの変化の驚異的なスピードを体験しましたが、現代の大学生はグローバル社会の初期変化の後に生まれました。彼らは、今日世界で起こっていることはほぼ全て、基本的に情報とコミュニケーション技術の発展として顕現されたグローバル化に影響を受けていることを知っています。彼らはグローバル化された世界に生まれ、育ってきたのです。しかし、だからといって彼らが学ぶべきことが多くないとは言えません。

インターネットは最も明白なグローバル化の現われですが、とても窮屈で個人的な形で私たちをつなげています。私たちは個人としてコーヒーショップやオフィス、寝室で、無限のチューブの小さな端に耳を傾けて座っています。それはつまり、グローバル化された個人です。人間の心は無限の量の情報には対処できないため、私たちは内的、外的な媒介やフィルター、つまり、自身の宗教、願望、偏見、知識、その時々の状況に頼っています。媒介は二つの人間の社会的欲望に影響を与えます。一つは標準化することへの欲望—類似性や均一性への安心感、そして、もう一つは個としてみなされることへの欲求—自分と他人を区別することです。新たな情報テクノロジーは社会学者デュルケムが19世紀後半に安心できる既知の構造から抜け出し、新たなものに圧倒された結果として表現したアノミー(無規範状態)と同じような状態を創り出す可能性があります。この変化をアノミーとして経験している人たちにとっては、グローバル化は、標準化の平等主義を全く新しい次元に引き上げることになります。インターネットを使ってかわいらしい子猫のビデオを見るのと同様に、自身と似たキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒の暖かさを発見することができるのです。地理的、文化的、宗教的、政治的に全く異なる離れた世界にいる他者と、直接コミュニケーションする経験を私たちにもたらしているのです。

しかし一方で、とりわけ文化横断的、国家横断的なコミュニケーションにおいて、個人間のコミュニケーションの増加がもたらす最も根源的な側面の一つは、私たちが他者について好ましくないことも発見し、異質なものへの偏見をより堅固にするにするということです。この場合、どんな形であっても世界の誰もがどこでも使えるコミュニケーションの手段であるなら、それは、強力な「他者」とみなされたものに対抗する個人やグループの反応を促進する可能性があります。つまり、インターネットを通じてグローバル化されたコミュニケーションは、画一性や均質性によって生まれる希望または不安をもたらす一方で、ウェブサイトを作ることができるどんな個人やグループにも声を与えるのです。インターネットは、何百万ものかけらとなって飛び散った画一性なのです。

TUJ学部生数の伸びを支える環境的要因は何なのか、という本稿冒頭の問いに話を戻します。私は、その答えはTUJの教育がグローバル化の最適な橋渡しであると感じる学生や保護者がますます増えているからだと思っています。TUJの教育は、年々高まるグローバル化の否定的、肯定的側面の両方を学生がうまく切り抜けて進むことを助け、世界の中で彼らが良きグローバル市民としての居場所を見つける手助けをしているのです。これはTUJの教育が、知識以上のものを与えているからできることなのです。TUJは、学生が直接面と向かって、リアルタイムに、様々な異なる国、文化、宗教、政治的信条を持つ他の学生とともにプロジェクトに取り組んだり、遊んだりする環境の中で、責任感を身につける場を提供しています。この人間同士のやりとりこそが、彼らが習得する知識以上に、グローバル化をくぐり抜けて進むためのロードマップを創る手助けとなっているのです。

Bruce Stronach