2018年8月に教務担当副学長に就任したジョージ・ミラーが、テンプル大学ジャパンキャンパス(TUJ)と彼の東京での新生活について月に一度のコラムをお届けします。第1回目となる今回は彼の出自と、どのように彼がTUJにたどり着いたかをご紹介します。


私がTUJにたどり着くまでの道のりは、伝統的な大学教員のものとは少々異なりました。

米デラウェア州にあるウィルミントンという都市で育った私は、毎日のように『The News Journal』という地元の新聞を読んでいました。1980年代、同紙は全米でも最高の写真家を擁する非常に質の高い地方紙でした。紙面の写真から大いに刺激を受けたことを覚えています。これがジャーナリストを志すきっかけでした。

大学を出てから、フィラデルフィア近郊の新聞社でフォトジャーナリストとして働き始めたのですが、仕事を通じてしばしば『The News Journal』の写真家と出会う機会がありました。鳥肌が立つほど興奮したものです。例えば、フレッド・コメジス、パット・クロウ、それにジム・グラハム。小さなデラウェア州にとどまらない伝説的写真家たちです。フレッドは全米報道写真家協会の1985年最優秀写真家でした。

長年にわたって彼らの報道室で時間を過ごすなかで『The News Journal』の写真家の何人かと親しくなりました。その一人、スーザン・L・グレッグは、程なくして新聞社を離れウィルミントン・カレッジ(現・ウィルミントン大学)の教授になりました。そして2001年、ある機会に彼女とばったり会ったとき、カレッジで写真を教えないかと誘われたのです。

講堂での授業で教鞭を執るジョージ

それまでに教壇に立ったことは一度もなく、自分がうまく教えられるかも分かりませんでした。自分の写真の腕前には自信がありましたが、それを人に教える、つまり被写体を捉え、構図を描き、カメラを適切にセッテイングして写真をデジタル加工するという一連の流れを教授したことはなかったのです。それに、写真論やイメージを良くする要因について説明したこともありませんでした。

最も懸念していたのは、教授法について何一つ学んだことがなかったことです。教員としていかに教えるか、また学生はいかに学ぶのか、当時何の知識も持ち合わせていませんでした。

そこで私は、自分の先生たちを思い出すことにしました。私自身の学習と理解に大きな影響を与えた人々です。

まず思い浮かべたのは高校の写真の先生で、野球部コーチも務めていたジム・トンプソンです。彼はいつもこう言っていました。「ただ練習するだけでは駄目だ。完璧に練習しろ」と。全てを正しいやり方で遂行し、それを何度も何度も繰り返すこと。それこそが習熟への道であり、内野ゴロをさばくのも写真を撮るのも同じであると私は理解しました。

次にアンディ・シオファロ。ロヨラ・カレッジ(現・ロヨラ大学)で彼の授業をいくつか履修しましたが、そこでは自分の力で事をなすことを何よりも求められました。出される課題の解説はあまりなく、問題を解決しプロジェクトをやりきるのは全て学生である私自身の仕事でした。これにはかなり鍛えられました。

マイケル・シャピロは、コロンビア大学大学院での私の指導教員を務めてくれました。彼が創り上げた学習環境は、これまでで最もダイナミックなものでした。概念・アイデアの手ほどきをするだけでなく、授業内で模擬記者会見を開くなど、様々な手法で知識を生きたものにする工夫がなされていたのです。教育であると同時に、非常に楽しい経験でもありました。

私がウィルミントン・カレッジで教員として初めて授業を担当するとき、これらの人々を頭に思い浮かべながらプランを練りました。それぞれから最良の部分を抽出し自分の教育スタイルに応用したのです。

最初は本当に苦労しました。クラス・マネジメントは、実地経験なしにはうまくいかないからです。しかし、自分は幸いにも飲み込みが早い方でした。数年後には、ジャーナリストから転身し、大学にフルタイムでコミットすることを決めました。テンプル大学本校のジャーナリズム学科教員に着任したのは2007年のことです。

ジョージといとこ。テンプル大学本校にあるPhiladelphiaNeighborhoods.comのニュースルームにて

これまでに教えたどの授業でも、自分自身が多くを学びました。自分の講義に学生がどう反応するかを注意深く観察し、それに適応してきたのです。講義毎に授業内容を調整し、シラバスの内容は毎学期アップデートしました。宿題も新しい課題を加えたり、過去にあまり効果がなかったものは差し替えました。学生の関心や社会の需要に応えられるよう、新しい科目もデザインしました。

毎科目・毎学期が新しい経験となり、常に新鮮な気持ちと良い意味での緊張感を保てています。

ジャーナリズムは絶えず変化しているため、私も変わり続ける必要があります。ジャーナリズムを教える教員は一人残らず、常に進化し続ける学生に適応せねばなりません。技術の進歩や学生の人生経験が多様化したことを受け、今日の学生の学習スタイルはかつてとは異なったものになっています。

常に世界の最先端を走り続けること、これほど大きなチャレンジはありません。

TUJのオフィスで学生のインタビューを受けるジョージ

2018年8月に、私はTUJの教務担当副学長に就任しました。大学のスムーズな運営に不可欠な多くの教職員を監督しています。決して一筋縄ではいかない仕事です。ここでまた、初めて教え始めたときと同じ状況に至ったことに気づきました。これまでに大学行政職や管理職に就いたことはありましたが、実際に誰かからリーダーとしての振る舞い方を教わったことは一度もありません。

今回もまた、自分が知る有能なリーダーのことを頭に浮かべています。チーム全体の力を最大化しつつ、一人一人のモチベーションを高く保ち、それぞれがやりがいを感じられる状態を維持できる、そんな人物です。最良のリーダーは本質的に目立たない存在であることを考えると、そのあり方を想像するのは難しいことがわかります。メンバーが最高の仕事を成し遂げられるよう、リーダーは静かに自分の役割を果たします。

私にとって幸運だったのは、すでに盤石な基礎が出来上がった状況から仕事を始められることです。ブルース・ストロナク学長、私の前任者アリスター・ハワード、その他TUJを牽引するリーダーたちのおかげで、TUJの入学者数は飛躍的に伸び、教育の質も向上し、財政面も安定しています。

私の役目は、教職員一人一人がこの大学にとっていかに貴重な存在であるかを自覚してもらい、皆が必要なときにサポートが得られる体制を整え、学生にとって充実した学習環境を作り上げることです。

目下、私は管理職にある教職員のコーチングを行いつつ、私自身が良きリーダーの実例となるべく努力しています。一人一人の声は傾聴され考慮される必要があること。皆がミッションを共有することで組織は最もよく機能すること。そして、謙虚さは強力な武器になり得ること。これらをそれとなく皆に知ってもらおうと努めているところです。

TUJに来てからまだ数カ月ですが、私は今とても幸せです。毎日、学ぶことが尽きません。