2020年8月21日
私は就任後最初の学長室だよりに「The Beginning(始まり)」というタイトルを付けました。そして、これは私の最後のストロナク前学長室だより(〜2020年9月13日)となりますが、タイトルは決して「The End(終わり)」ではありません。特にこの6カ月は、私が予想していたTUJでの最後の時間とは異なるものとなりましたが、それは大きな問題ではありません。私の人生は予想外の連続だったからです。
私は米国メイン州の小さな田舎町の出身ですが、もし子供の頃誰かに「あなたは長い職業人生の多くを大学で過ごし、成人後のほとんどの期間を日本で暮らし、日本の大学の学長とTUJの学長に就任するだろう」と告げられたら、私は「そんなのクレイジーだ」と答えたことでしょう。しかし、あなたがその気になれば人生は素晴らしいものになり得るのです。TUJの学長という仕事は、私のキャリアの頂点であったこと、これまでで最高の仕事であったこと、この二点で素晴らしいものでした。日米両国の大学で教職に携わった後、この12年間、日本で唯一の米国の総合大学であり、最もグローバルな教育機関のひとつを導いてきたことに喜びを感じています。
長年にわたって私のストロナク前学長室だより(〜2020年9月13日)を読んできた皆さんは、私がグローバル化を非常に重視していることをご存知でしょう。私が大学院生だった1970年代、世界は過去60年間に起こった二つの破壊的な世界大戦の影響によって形作られていました。フレッチャー・スクール(大学院)※の同級生たちは、私がそれまで活動を共にしてきた人々の中で最もグローバルで多様性に富んでおり、過去の過ちを繰り返さないよう皆が強い決意を持っていました。グローバルな連携や協力こそが、世界大戦による破壊や環境破壊に立ち向かう唯一の方法でした。
ナショナリズムの再燃と新型コロナウイルスの世界的流行は、現実としてグローバル化の拡大を鈍化させています。そして何より、人々がグローバル市民としての自覚を持つことが難しくなっています。しかし、私は二つの理由から楽観的な見方を変えていません。第一に、通信や交通、情報技術がますます発展することで、世界はより小さくなり、互いの結びつきは強固なものとなるからです。これらの発展に後戻りはありません。次に、そのことを良く理解し、社会的、政治的、文化的、経済的な基盤を築き、技術的進歩を駆使して、すべての人々にとってより人道的な世界を作ろうとする人々がいるということです。
これこそ私が44年間大学で教育に携わってきた理由であり、TUJをこよなく愛する理由です。私が生まれた国の社会や文化と、これまで親しんできた社会や文化をひとつにするからだけではありません。TUJは1974年頃のフレッチャー・スクールのように、世界的に多様な背景を持つ人々が、人生について、そして人生の可能性についてお互いから学ぼうとする貴重な場所だからです。人生とは、A地点からB地点へ連続してつながった平坦な線ではありません。人生とは軌跡です。あなたが他者を心から理解し、支え、彼らと協力し合い、彼らのために何かをすれば、彼らの人生だけではなくあなたの人生もより豊かになるでしょう。簡単なことです。成功するために良い行いをするのです。
森をハイキングする人に向けた言葉として、「ありのままを見て、ありのままに残そう」とは古くから言われていることです。(自身が就任した)2008年頃のTUJと比べて今のTUJは少し良くなったと思っていますが、それが自分のお陰だと思うほど私は愚かではありません。TUJの成功にはさまざまな理由がありますが、最も大きな理由はTUJを成功させるために尽力してきた数々の教職員の力に他なりません。困難な状況では自分を犠牲にしてまで職務に取り組み、楽しい時には心より楽しんだ、東京とフィラデルフィアの仲間たちと共に仕事ができたことは大変光栄でした。彼らはTUJが高等教育をリードする教育機関となり、世界的な教育の模範となるよう常に最善を尽くしてくれました。
私は引退してメイン州の故郷へ戻り、生活を送ることになります。私は、次に何が起こるか分からないながら、それが何であれ、今後も自分自身の軌道を描いていくのだと知っているという感じが好きです。そして同じように、軽やかな気持ちでこの場を去りたいと思います。次期学長であるマット・ウィルソン氏が、私の後を引き継いでTUJの前向きな軌道を導き続けることを知っているからです。
※フレッチャー・スクール
1933年に米国ハーバード大学とタフツ大学の合同プロジェクトによって米国で初めて創設された国際関係学の専門大学院。国際関係学の分野において世界最高の専門大学院のひとつ。