このたび、ロバート・オア大使が逝去されました。テンプル大学ジャパンキャンパス(TUJ)として、謹んでお悔やみ申し上げます。オア大使は日本及び世界各地で長きにわたり傑出した経歴を築かれましたが、TUJとの結び付きも深く、テンプル大学コミュニティ内の多くの人の人生に影響を与えました。

TUJのマシュー・J・ウィルソン学長は、「オア大使はずば抜けた教育者、企業経営幹部、政治家でした。周囲の全員に、そして自分の周りのあらゆる物事に、肯定的な影響を及ぼすことに情熱をかけた方でした。大使の熱意や、卓越を求める気概には感動を覚えていました」と語っています。そして、「私たちの全員がオア大使と妻のミツコさんを模範とし、2人が残してくれたものから学んでいけることを願っています」と述べています。

オア大使は1985年から1993年までの間、TUJで政治学教授と環太平洋研究所(Institute of Pacific Rim Studies)長を務めました。大使の著書『The Emergence of Japan’s Foreign Aid Power(邦題:日本の政策決定過程―対外援助と外圧)』(コロンビア大学出版局)は、アジア太平洋に関する最も優れた書籍に贈られる大平正芳記念賞を1991年に受賞しています。オア大使はその全人生を通じて、TUJ理事などさまざまな資格でTUJを支え続けてくれました。オア大使がキャンパスに足を運んだのは、三軒茶屋にあるTUJ新キャンパスの完成記念式典が最後となりました。

オア大使の経歴は輝かしいものです。学問の世界から飛び出すと、すぐに産業界においてキャリアを駆け上っていきました。ボーイングジャパンの社長も5年間務めています(2002年から2007年まで)。ボーイング入社前には、モトローラ欧州事業会社の副社長を務めました。大使は日本モトローラのさまざまな上級ポストも歴任し、副社長兼政府関連担当取締役まで上り詰めています。2007年から2010年までは、米国パナソニック財団理事長を務めました。

2010年9月には、米国の大使級ポストであるアジア開発銀行常務理事への就任を上院で承認されました。大使の職は2015年12月31日まで務めました。

オア大使は最近、旭日章を授与されており、この勲章は顕著な功績を挙げた人物へ日本から贈られる栄誉あるものです。大使は京都アメリカ大学コンソーシアム、スタンフォード技術革新センター、アジア開発銀行研究所、米国大使評議会、パシフィックフォーラム、全米日米協会連合などさまざまな組織でリーダーシップを発揮し、肯定的な影響を及ぼしました。大使はフロリダアトランティック大学において第三位優等で歴史学士号を取得し、ジョージタウン大学で統治学修士号、東京大学で政治学博士号を取得しています。